カナレットとヴェネツィアの輝き
2025.2.15(土) 〜 4.13(日)
ヴェネツィアを訪れたイギリスの貴族たちが旅の記念にと争うように買い求めたのが、18世紀を生きた画家・カナレット(1697-1768)のヴェドゥータ(景観画)です。輝く水面に整然とした建築物、祝祭的な雰囲気など、ヴェネツィアに対する理想的なイメージは、雄大さと緻密さを併せ持つカナレットのヴェドゥータを通して定着していきました。
本展は、ヴェドゥータの巨匠・カナレットの全貌を紹介する、日本初の展覧会です。カナレットが描く壮麗なヴェネツィアの景観を通して、ヴェドゥータというジャンルの成立過程をたどるとともに、カナレットとは異なる眼差しでヴェネツィアを捉えた19世紀の画家たちの作品もあわせてご紹介します。
3月22日(土)~30日(日)
上記期間中、小中高生の方は本展を無料でご覧いただけます。
*入場時に学生証をご提示ください。
京都文化博物館、 公式オンラインチケット(博物館公式サイト)、 ローソンチケット(Lコード:56264)、 チケットぴあ(Pコード:687-116)、 イープラス、 セブンチケット(セブンコード:108-258)、 CNプレイガイド、 アソビュー!、 楽天チケット、近鉄駅営業所ほか
3,000円(税込/一般のみ) ※1枚ずつでも使用可
都市や名所を精密に描いた景観画「ヴェドゥータ」(*1)が大きく発展したのは、18世紀のことです。中でもカナレットの描くヴェドゥータは、ヴェネツィアを訪れた旅行者から熱烈に愛好されました。
本展はヴェドゥータの巨匠として知られるカナレットの画業を紹介するとともに、ヴェドゥータの歴史的展開をまとめてご紹介する日本初の展覧会です。
カナレットが生きた18世紀、グランド・ツアー(*2)と呼ばれる貴族の周遊旅行が最盛期を迎えました。その目的地の一つであるヴェネツィアを訪れた旅行者が、旅の記念にと争うように求めたのが、カナレットの絵画だったのです。
大運河の水辺からたちあがる壮麗な建築や輝く水面、祝祭の景色など、旅行者の求める理想的なヴェネツィアを描き、人気を博しました。
カナレットが緻密に、かつ意図的な操作を重ねながら描き出したヴェネツィアの景観は、カナレット以後も、多くの画家たちを魅了し続けます。
ホイッスラーにブーダン、シニャック、そしてモネに至るまで、外国から訪れた画家たちもまた、聖俗が同居する魅力的な都市ヴェネツィアの姿をカンヴァスに表現しました。
(*1)ヴェドゥータ(景観画)とは
都市の景観や古代の遺跡などを精密な透視図法に基づいて描き出した、風景画の中の一ジャンルです。画家による理想化が許容された風景画とは異なり、土地の景観を、可能な限り正確に再現することが求められました。グランド・ツアーの旅行客の間で人気を博し、18世紀のヴェネツィアやローマで発展します。
(*2)グランド・ツアーとは
支配階級や貴族の子弟たちが学業の終了時に行った長期間に渡る周遊旅行で、17世紀末から始まり18世紀後半の英国で最盛期を迎えました。目的地の多くはイタリアで、ローマとヴェネツィア、フィレンツェが人気でした。
1697年、劇場の舞台デザイナー兼舞台背景画家を父に、ヴェネツィアに生まれる。本名ジョヴァンニ・アントニオ・カナル。1719年、父に伴い、オペラの舞台デザインの仕事のためローマに赴き、景観画家の先達と知り合ったと言われる。出身地ヴェネツィアの都市景観を、壮麗かつ緻密に描いた景観画「ヴェドゥータ」で名を馳せる。1746年からはパトロンのいる英国に長期滞在した。1768年、ヴェネツィアで没する。享年71歳。
ヴェネツィアのイメージを、カナレット以前に描かれた作品を通して辿ります。
ヴェネツィアにおける都市を描く伝統は、15世紀にまで遡ります。遠近法の成立が都市景観に対する関心を高めたことで、「鳥瞰図」や「物語絵」として、都市のイメージが客観的に再現されるようになりました。その後16世紀末から17世紀にかけて北方からやってきた画家たちの描くラグーナ(潟)の景観が、後のヴェドゥータの発展へと繋がっていきます。
一方、18世紀、時代を代表する画家として国際的に活躍していたのが、ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロでした。彼の作品を通じて、カナレットが活躍した18世紀のヴェネツィアの文化を紹介します。
ヴェネツィアの裕福な貴族ラビア家の邸宅パラッツォ・ラビアの大広間装飾画のモデッロ(油絵下絵)で古代ローマの歴史の一場面が描かれています。白いドレスに身を包んだクレオパトラの手に接吻するのは、赤いマントを羽織った甲冑姿のアントニウスです。完成作の壁画はティエポロの代表作。
カナレットがヴェドゥータを描き始めたのは、1719年頃とされています。光と影の効果を追求した初期作品からは徐々に変化し、1730年には、澄み渡る空や輝く水の波紋の表現、定規を用いて堅固さを強調した建物の描写など、カナレットの定型的な表現が定着していきました。
ヴェドゥータ本来の主役ではない人物描写もまた、カナレットの特徴です。様々な仕草をした人々の姿が整然とした街の景観に動きを与えると同時に、観る者を飽きさせない魅力の一つとなっています。
カナレットのヴェドゥータは、目に見える景観をそのまま再現しているわけではありません。ありえない建物の組み合わせや、景観を描く視点の高さを工夫することで、人々が「見たいと思っている風景」を画面にとどめることに成功しました。
ヴェネツィアにおける政治の中心地であり、海からこの地を訪れる旅人の玄関口となる、パラッツォ・ドゥカーレ(元首公邸)付近が描かれています。右側にはサン・マルコ小広場への入り口にある2本の柱のうち、西側に立つ聖テオドルスの柱があり、カナル・グランデ(大運河)の対岸にはサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂とドガーナ(税関)が見えます。
ただ実際は、パラッツォ・ドゥカーレ前の広場には本作の視点を確保できるような高さの建物はありません。まるでドローンを用いたような視点であるにもかかわらず、あくまで「自然」であるところに、カナレットの描写のマジックが遺憾無く発揮されています。
ヴェネツィアの華やかな祭りの中でも一層エキサイティングなのが、レガッタです。カナル・グランデ(大運河)で行われるボートレースで、時には賓客を歓迎するためにも開催されました。華やかに彩られた舟や、漕ぎ手が身につけるそれぞれのユニフォームが祭りの雰囲気を盛り上げます。建物の窓や屋根にも、祭りを見物するたくさんの人々の姿を見ることができます。
数多いヴェネツィアの祝祭の中でも特に重要なのが、「海とヴェネツィアの結婚式」が行われる、キリスト昇天祭です。ブチントーロと呼ばれる御座船でアドリア海に漕ぎ出したドージェ(元首)が、「海よ、汝と結婚する」と唱えながら金の指輪を海に投げ入れます。
緋色の屋根に緋色の旗を掲げているのがブチントーロで、金箔を貼り廻らした船体が輝いています。カナレットは、制作にカメラ・オブスキュラを用いていました。まるで動き出しそうな人々の描写は、この機械に映った動画から着想を得たのかもしれません。
オーストリア継承戦争でヴェネツィアの旅行者が減ったことから、仕事を求めたカナレットは、1746年に渡英します。本作は、ロンドンの遊興施設「ラネラー」の目玉であった巨大なロトンダ(円柱形建築物)を描いた作品です。直径約46メートルの室内には演奏席があり、その周囲を52のボックス席が囲みます。幼い頃のモーツァルトもここで演奏しました。
窓や戸口から差し込む光が影をもたらし、シャンデリアが複数吊るされたロトンダの内部空間を、立体的かつダイナミックなものとして演出しています。
本作に描かれたのも、キリスト昇天祭の日のモーロ河岸です。右側に、金箔が光り輝くブチントーロが描かれています。本作で特徴的なのは、光の反射の表現です。ブチントーロやゴンドラに散りばめられた光の粒が、船を漕ぐ人々にも降り注いています。
最も明るい部分を点で描く方法は、晩年に近づくにつれて顕著になっていきました。そしてその色調もまた、少しずつ暗さが加わり、コントラストが強調されていきます。
素描や版画、そしてカメラ・オブスキュラをキーワードに、カナレットの創造の秘密を探ります。
写真がまだ存在しない時代において、複製を可能とする版画は、極めて価値のあるメディアでした。1735年に刊行された『ヴェネツィアのカナル・グランデの景観』は、カナレットの原画を元にアントニオ・ヴィゼンティーニが彫版した作品集で、カナレットのパトロンであるジョゼフ・スミスが企画しました。発注のための見本帖だったために、機械的で規則的な手法で制作されています。一方、カナレットが自刻した版画作品は、より自由な、独自の筆致を残しています。素描もまた、油絵にはない、より自由な画家の手の痕跡を伝えます。
カメラ・オブスキュラ(Camera Obscure)とは、光学の原理を利用して外の景色を投影する装置で、今日の「カメラ」の語源となりました。投影された景色は反転していますが、そのイメージをなぞると、正確な遠近法を用いて描くことが可能となります。カナレットは、カメラ・オブスキュラを用いて制作した画家の一人でした。
カナレットの影響を受けた同時代の画家たちと、英国の後継者たちが制作したヴェドゥータとカプリッチョ(綺想画)をご紹介します。
ベルナルド・ベロットやフランチェスコ・グアルディは、カナレットの影響のもと、異なるアプローチによるヴェドゥータを数多く制作しました。カナレットの甥ベロットは、後にドレスデンやワルシャワで宮廷画家としての立場を獲得します。残されたベロットのヴェドゥータは、第二次大戦後、空襲で破壊された二つの街の再建に大きく寄与することになりました。
カナレットの約10年間に及ぶ英国滞在を通して、英国でもまた、カナレットの影響を受けた画家によるヴェドゥータが多数制作されます。それらは同時に、カナレットによるヴェドゥータの独自性を浮き彫りにするものでもあるでしょう。
トスカーナ州北西部の街ルッカのサン・マルティーノ大聖堂の広場を、破綻のない洗練された構図で描いています。ベロットは20歳のとき、ローマ旅行の途中でルッカを訪れます。ヴェネツィアに帰国した彼は、現地でのスケッチを元に本作を描きました。
ロンドンのセント・ポール大聖堂とヴェネツィアの運河を同一画面にまとめた、カプリッチョ(綺想画)です。奇想天外なアイデアを意味するカプリッチョとは、実在するものと空想上のものを自在に組み合わせて構成された架空の景観画です。作者のマーローは、異なる土地のランドマークを合体させるという大胆な発想と構成で、虚構の大空間を創造しました。
最後に、風景画の世紀とも言われる19世紀にヴェネツィアはどのように描かれたのか、英仏の画家たちに焦点をあわせて、その変遷を辿ります。
カナレットが定着させたヴェネツィアの「絵になる」イメージは、多くの画家たちをも魅了します。19世紀後半の印象派の萌芽を感じさせる作品の存在に気づかされる一方で、当時のロマン主義的な潮流を背景に、ヴェネツィアの暗部を描き出す作品も登場します。それはカナレットが導いたヴェドゥータの世界とは異なる、極めて近代的なヴェネツィアのイメージでした。同時に、この都市を描きたいという憧れは、カナレットのヴェドゥータに端を発するものであることもまた確かでしょう。
カナレットのヴェドゥータにも描かれていたパラッツォ・ドゥカーレ(元首公邸)とパラッツォ・デッレ・プリジョーニ(牢獄)、その間を繋ぐ「溜息橋」が描かれています。牢獄の戸口から、処刑された裸の囚人が、2人の男性によって運ばれています。作者のエティは、ヴェネツィアのランドマークの間で人知れず死んだ囚人に思いを馳せながら、大胆な構図のもと描きだしました。
1908年、初めてヴェネツィアを訪れたモネは、37点におよぶ油彩の連作を描きました。
連作「ヴェネツィア」に描かれたのは、いずれもアカデミア橋以東のカナル・グランデ沿いの風景です。モネの眼差しが捉えるのは、その景観でも人々の営みでもなく、水面に輝く光や街の空気、曖昧な輪郭線をもつ建築物とゴンドラであり、その周囲は大胆にトリミングされています。平面的な絵画世界全体に、ヴェネツィアの水と光、大気が大きく広がっていきます。
カナレットが絵画制作に用いた道具、カメラ・オブスキュラを制作するワークショップです。
カメラの原型となった、この光学装置をつかって不思議な視覚体験を楽しみましょう!
コロナ渦、人の消えたヴェネツィアの街を舞台としたドキュメンタリー映画を上映します。
※事前申込不要、参加費無料(ただし、本展入場券<半券可>が必要)
「ある海辺の詩人-小さなヴェニスで-」(2011)のアンドレア・セグレ監督が届けるドキュメンタリー
空洞化していくヴェネツィア中心部での暮らしのはかなさ、その素晴らしさと怖さ
ローマ在住の映画監督アンドレア・セグレは、ロックダウンにより2020年2月から4月にかけて彼の父親の故郷であるヴェネツィアに閉じ込められる。
当時、セグレは、ヴェネツィアを傷つける問題、すなわちツーリズムと「アックア・アルタ」(異常潮位の高潮)をテーマにした演劇と映画用の二つのプロジェクトに取り組んでいたが、その撮影中に、彼の目の前で、新型コロナウイルスによりヴェネツィアの街がフリーズし、空っぽになっていった。そして、ヴェネツィアはヴェネツィア本来の姿、本質や歴史を取り戻し、セグレ自身にも同じことが起こった。
映画・ドキュメンタリー監督。1976年、ヴェネツィア県ドーロ町生まれ。
これまでに3本の作品がヴェツィア国際映画祭で紹介される。1本目は趙濤主演の「ある海辺の詩人-小さなヴェニスで-」(2011)で、同映画祭のFEDIC賞を受賞。続いて「初雪」(2013)が第70回のオリゾンティ部門に出品され、さらに「THE ORDER OF THINGS」(2017)が第74回のアウト・オブ・コンペティション部門に選出された。
本展は,政府による美術品補償制度の適用を受けています。
This exhibition is covered by the Japanese Act on the Indemnification of Damage to Works of Art in Exhibitions (Act No.17 of 2011)