町を歩くだけで歴史に触れられる京都。
京の歴史ゾーンでは歴史都市京都の平安時代から昭和時代までの各時代の姿を紹介しています。
(以下、展示説明文より)
今からおよそ1200年ほど前、桓武天皇は今の京都の地に平安京を造営した。それまでの都城が数十年単位で遷都を繰り返していたのに対し、ここに日本の都が居を定めた。造営から約百年経つと、雅な王朝文化が花ひらく。藤原道長が貴族社会の栄華を極め、紫式部や清少納言などの宮廷女房たちがその才能を発揮した時代である。貴族たちは寝殿造と呼ばれる邸宅に居住し、女房たちは華やかな装束に身をつつんだ。それまでの唐風の文化が吸収され、わが国の土壌に、新たな和風の文化世界が誕生した。それは京都で生まれた都の文化であった。
平安時代後期から鎌倉時代にかけての京都は鴨川の東の白河地域、洛南の鳥羽地域などへ都市域を拡大させ、新たな都市景観を生み出していった。朝廷と幕府という新たな政治体制も生まれ、また鎌倉新仏教祖師たちの活躍や常設の店棚の活況など宗教や経済の新展開も見られた。政治的に作られた計画都市平安京は、都に暮らす人々の実態に即した生活都市へとその姿を大きく変容させていく。
室町時代は、政治的・経済的に力を持った武家が、文化の担い手として登場する時代であった。この武家の文化は、京都に幕府が置かれたことによって公家や寺社の文化と融合し、さらに足利義満が日明貿易を積極的に推進したこともあり、多くの唐物が日本にもたらされた。同時に市井には様々な職能をもったひとびとが暮らし、京都を活力のある都市へと変化させていった。大きな戦乱や飢饉がおそった時代ではあったが、この時代はさまざまな調和と洗練を経て、今の日本に続く伝統文化を生み出していった。
江戸時代の京都は、江戸・大坂とともに三都と称され、幕府直轄の大都市として全国市場の中心的存在であった。とりわけ京都は、町人・公家・寺社が共存する伝統都市として大きな意味をもった。伝統に裏付けされた技術力をもつ京都の諸産業は、手工業者によって担われており、彼らの手で作り出された数々の製品は全国で人気を博した。また都市の住民は町や町組と呼ばれる地域共同体を基礎とし、独自に規律を定めて安定した生活を目指した。
蛤御門の変と京都の大火、鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争など幕末の京都は大きな戦火に見舞われた。明治時代にいたると、天皇は京都から東京に行幸し、かつ政府機関も東京に移設されたことで政治の中心は東京となった。しかし一方で、衰退の危機に直面した京都では、住民自らが主導して番組小学校を建て、そのほか琵琶湖疏水事業、平安遷都千百年記念事業などを積極的に企画した。これらの取り組みは、京都を歴史遺産のみが残る伝統都市として終わらせるのではなく、活力をもった近代都市として再生することを目的としていた。
京都の夏の風物詩、鴨川の納涼で楽しむ人々や三条大橋などの往来の場を中心に、江戸時代の人々の暮らしぶりを動くアニメーションで生き生きとご紹介します。
京の歴史コーナーの写真は全て 撮影/三森 寛