祇園祭-山伏山の名宝-
2016.1.30(土) 〜 4.10(日)
祇園祭の山鉾には、歴史物語を題材とした意匠が多く見られますが、山伏が修行のため峯入りをする様子の御神体人形を搭載し、その名を本体に冠したのが山伏山です。山伏山の御神体は、平安時代の修験者である浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)だとされています。平将門調伏や父の三善清行の蘇生など、さまざまな霊験譚を有する浄蔵の姿は、人びとに祈祷の効験を期待させてきました。
また山伏山には、数々の壮麗な装飾品が伝え残されています。中でも山伏山の周囲を飾る水引「養蚕機織図」の綴織は、江戸時代後期の作品と伝えられ、蚕を飼って繭を取り、そこから絹糸を紡いで、そして機を織って絹織物を仕立て上げるまでの工程が、人びとの生き生きとした姿と共に織り出されており、山伏山を彩る希少な懸装品のひとつとなっています。そのほかにも、山伏山を出す山伏山町(京都市中京区室町通蛸薬師下ル)には、懸装品や飾金具など実に多くの装飾品があり、それらは宵山の会所飾りにも披露されて人びとの目を楽しませています。
今回の展覧会では、山伏山が所蔵する名宝を選りすぐって公開し、その魅力に迫ると共に、祇園祭の歴史や文化の奥深さについて紹介してゆきます。展覧会をご覧のみなさまに、山伏山の華麗な装飾品の世界の一端をお感じいただければ幸いです。
山伏山に搭載されている御神体人形は、大峯入りをする山伏の姿をあらわしています。右に峯入りのための斧を担ぎ、左手には念珠を持つその姿は、平安時代の高名な修験者、浄蔵貴所(891−964)のものであるとされています。浄蔵は修験の道はもとより、医道や天文、音曲芸能や文章にもすぐれた才能を発揮したとされる人物で、朝廷の信頼も厚く、関東で平将門が反乱を起こした際には、比叡山で将門調伏のための大威徳法を修するなどの活躍をしています。
また浄蔵には、さまざまな霊験譚も語られています。傾いていた八坂の塔を法力によって元に戻したという話のほか、父親である公卿の三善清行が亡くなった際に、その葬列に一条通堀川に掛かる橋で追いつき、呪力を用いて父を蘇生させた話などが有名で、この逸話は「一条戻橋」の名の由来ともなっています。
京都の町では、修験者の祈祷の効験を尊ぶ文化が深く根付いていました。山伏山の御神体人形には、都の人びとの修験者への崇敬の念が込められています。山伏山町では、祇園祭の山鉾巡行の前に聖護院の修験者たちが会所を訪れて、浄蔵貴所に祈りを捧げるしきたりが、今も続けられています。