祇園祭-山鉾巡行の歴史と文化-
2015.6.27(土) 〜 8.23(日)
祇園祭は、蔓延する疫病を防ぐ目的で貞観5年(863)に催された御霊会に始まるとされます。もともと朝廷や貴族の祭祀として執り行われていた祇園御霊会は、時代の変遷と共にさまざまな要素が加えられるようになりました。それと共に、祭りの担い手も経済力をつけてきた町衆へと移り変わってゆき、室町時代には巨大な山鉾が次第に姿をあらわすようになったのです。祇園祭に登場する山や鉾には、美しく由緒もある懸装品が数多く用いられ、国内はもとより遠く東アジアや中近東、そしてヨーロッパの美術工芸の粋が集結しています。
京の歴史の移り変わりとともに現代まで連綿と受け継がれてきた祇園祭は、京都だけでなく日本を代表する祭礼として名高いものであり、絢爛豪華な懸装品で装飾された山鉾は「動く美術館」とも称され国の重要有形民俗文化財に指定されているほか、ユネスコの世界無形文化遺産にも登録されています。そして、昨年には大船鉾が150年の時を経て復興され、また後祭巡行が49年ぶりに復活するなど、祇園祭には伝統と共に常に変化があるのです。
今回の展示では、祇園祭における山鉾の歴史や文化について、江戸時代の古記録なども展示しながら、その魅力を紹介してゆきます。
祇園祭の山鉾巡行には33基の山や鉾が登場しますが、その形状には様々なものがあります。全長が20メートルにも達する長刀鉾などの巨大な鉾は、中心に長大な鉾を据えているのが特徴です。また、同じく鉾と呼ばれますが、綾傘鉾や四条傘鉾のように傘の形をした鉾もあれば、船鉾や大船鉾のように特徴的な姿をしたものもあります。
一方山には、人が担いで巡行した舁山(かきやま)や、鉾と同じく大きな御所車がついて曳行される北観音山や南観音山などの曳山(ひきやま)があります。こうした山鉾の姿は、14世紀にはその形が整えられたとされており、その後日本各地に展開する曳山などの祭り屋台の形式の元になったものと考えられています。
祇園祭は古来さまざまなかたちで記録に残されてきました。江戸時代になると、人びとの手に取りやすい本が刊行され、祇園祭の詳細はより広く伝えられるようになりました。例えば安永9年(1780)に秋里籬島によって著された『都名所図会』には、祇園祭の山鉾巡行の様相が、竹原春朝斎の描いた挿絵入りで紹介されており、長刀鉾の巡行や見物人の様子など、往時の賑わいを彷佛とさせます。また、祇園祭の概要や登場する山鉾などについて挿絵入りで紹介した宝暦7年(1757)刊行の『祇園御霊会細記』には、当時巡行に登場していた34基の山鉾が一基ずつ紹介されており、往時の様相を知る貴重な資料となっています。
■鶏鉾 前懸 中東連花葉文様 ヘラット絨毯 | 江戸時代後期 | 1枚 | 重要有形民俗文化財 | 公益財団法人鶏鉾保存会蔵 |
■鶏鉾 後懸 メダリオン中東連花葉文様 インド模織絨毯 | 江戸時代前期 | 1枚 | 重要有形民俗文化財 | 公益財団法人鶏鉾保存会蔵 |
■鶏鉾 胴懸 大斜め格子草花文様 インド絨毯 | 江戸時代後期 | 2枚 | 重要有形民俗文化財 | 公益財団法人鶏鉾保存会蔵 |
■『祇園御霊会細記』 | 宝暦7年(1757) | 2冊 | 京都府立総合資料館蔵(京都文化博物館管理) | |
■『都名所図会』 | 安永9年(1780) | 6冊 | 京都府立総合資料館蔵(京都文化博物館管理) | |
■『諸国年中行事大成』 | 文化3年(1806) | 7冊 | 京都府立総合資料館蔵(京都文化博物館管理) | |
■『宝永花洛細見図』六 | 昭和9年(1934)復刻 | 1冊 | 京都府立総合資料館蔵(京都文化博物館管理) | |
■菊水鉾巡行模型 | 昭和46年(1971) | 一式 | 京都府立総合資料館蔵(京都文化博物館管理) | |
■長刀鉾模型 | 昭和時代 | 1台 | 京都文化博物館蔵 | |
■月鉾模型 | 明治時代 | 1台 | 京都文化博物館蔵 | |
■長刀鉾鉾頭模型 | 昭和時代 | 1台 | 京都文化博物館蔵 |
*展示資料は都合により変更する場合がございます。
*作品No.1「鶏鉾 前懸 中東蓮花葉文様 ヘラット絨毯」は7月28日から8月23日までの展示です。
*作品No.2「鶏鉾 後懸 メダリオン中東蓮花葉文様 インド模織絨毯」は6月27日から7月26日までの展示です。
*作品No.3「鶏鉾 胴懸 大斜め格子額草花文様 インド絨毯」は会期途中で同作品の入れ替えを行ないます。