祇園祭-
2018.4.7(土) 〜 6.17(日)
京都市中京区西洞院通四条上ル蟷螂山町から祇園祭の山鉾巡行に出される蟷螂山は、御所車の上に乗った蟷螂のからくりが人気を博する山です。
中国の故事である「蟷螂の斧」に取材した意匠をもつ蟷螂山は、応仁の乱以前の記録にもその名の見える古い由緒を持っています。御所車の上に蟷螂のからくりが乗る姿は、南北朝時代に南朝方として活躍した
蟷螂山は江戸時代後期に衰退し、明治5年(1872)以降長らく巡行に参加していませんでした。しかし、昭和56年(1981)に復興され再び山鉾巡行の列に連なるようになったのです。
蟷螂山のあゆみからは、祇園祭の長い歴史と変遷の過程がうかがえます。今回の展示を通じて蟷螂山の歴史や文化の奥深さに触れていただくと共に、祇園祭のもつさまざまな魅力の一端を感じていただければ幸いです。
蟷螂山は、応仁の乱以前の文献に既に登場しており、室町時代に描かれた洛中洛外図屏風にもその姿が描かれるなど、祇園祭に登場する山鉾の中でも古い由緒をもつ山です。
江戸時代、天明8年(1788)の大火で蟷螂山は焼失しますが、ただちに復興がはかられます。その時に整えられた御所車の破風板には、享和2年(1802)6月の銘がみられます。ところが、幕末に蟷螂山は衰退し、安政5年(1858)以降は巡行ヘの参加が滞りがちとなり、元治元年(1864)の大火から明治維新を経て、明治5年(1872)からは長らく休み山となってしまいます。
しかし、第二次世界大戦の終戦を経て、昭和50年代頃から蟷螂山復活への機運が次第に盛り上がり、昭和52年(1977)には残っていた御所車の修理がおこなわれ、翌昭和53年には蟷螂山保存会が発足します。そして昭和56年(1981)に蟷螂山は見事に復活を遂げ、山鉾巡行への参加を果たしたのです。その後も蟷螂山には、人間国宝の羽田登喜男氏制作の懸装品などが整えられてゆき、華麗な姿を披露しています。
資料名 | 時代 | 指定等 | 展示期間 |
---|---|---|---|
胴懸「瑞苑群遊鴛鴦図」 羽田登喜男 作 | 昭和58年(1983) | 後期 | |
胴懸「瑞苑孔雀之図」羽田登喜男 作 | 昭和59年(1984) | 後期 | |
前懸「瑞祥鶴浴之図」 羽田登喜男 作 | 昭和56年(1981) | 後期 | |
後懸「瑞鳥遊泳之図」 羽田登喜男 作 | 平成16年(2004) | 前期 | |
見送「巨岩遊禽図」 皆川月華 作 | 昭和55年(1980) | 前期 | |
見送「瑞苑飛翔三図」 羽田登喜男 作 | 平成2年(1990) | 後期 | |
水引「吉祥橘蟷螂図」 羽田登喜男 作 | 平成11年(1999) | 後期 | |
水引「雅楽 還城楽」佐々木洋一 作 | 昭和54〜56年(1979〜81) | 前期 | |
かまきり(新) | 昭和56年(1981) | 後期 | |
かまきり(旧) | 昭和52年(1977)改修 | 京都市指定文化財 | 前期 |
御所車旧胴巻裂 鳳凰花卉文様刺繍胴幕 額装 | 江戸時代後期 | 京都市指定文化財 | 前期 |
旧金幣 | 文政12年(1829)頃 | 京都市指定文化財 | 前期 |
旧角飾金具 西洋紋章図角金具 | 文政12年(1829) | 京都市指定文化財 | 前期 |
破風板貼布 火馬および麒麟図刺繍裂 | 享和2年(1802) | 京都市指定文化財 | 前期 |
三龍図切付刺繍小幕 | 江戸時代後期 | 京都市指定文化財 | 前期 |
御所車部材 ・唐破風造両流屋根 ・勾欄 紅塗木彫草花極彩色 ・轅 鎌倉彫変形/前横木黒漆塗 ・龍頭台座 ・破風飾板 龍鳳凰刺繍裂貼道成寺模様裂貼 ・鯱彫刻 屋根飾 ・車輪 | 享和2年(1802) | 京都市指定文化財 | 後期 |
錫御神酒徳利 | 明治9年(1876) | 前期 | |
蟷螂山模型 | 江戸時代 | 通期 | |
角飾金具 彫金蟷螂飾付 | 後期 | ||
見送飾金具(大2・小7)小林尚珉作 | 後期 | ||
旧鯱彫刻 | 前期 | ||
旧飾房 | 享和2年(1802) | 前期 | |
角飾房(金色・濃緑色各4) | 後期 | ||
文箱 黒漆塗神紋蒔絵 | 昭和56年(1981) | 後期 |
*都合により展示資料を変更する場合があります。