祇園祭-
2015.4.11(土) 〜 6.21(日)
祇園祭の山鉾巡行は、京都ならではの歴史と伝統が結実した祭礼の様相として見る者を魅了します。中でも巨大な姿と絢爛豪華な懸装品、そして賑々しい祇園囃子の演奏によって注目を浴びる鉾は祇園祭の大きな特徴で、そのひとつに鶏鉾があります。
鶏鉾は、応仁の乱の以前からその名が記録に現われるとされる鉾で、その意匠は『古事記』の天の岩戸の物語に登場する「
また、鶏鉾町に伝わった中世以来の古文書を含む「鶏鉾町文書」には、往古の鶏鉾に関する記録から、町衆が自分たちで町の運営をおこなってきた証しとなる町定法度などが含まれており、京都の町の成り立ちを知る上で貴重な資料となっています。
今回の鶏鉾の展覧会を通してその魅力に触れ、また祇園祭の歴史や文化の奥深さを感じていただければ幸いです。
鶏鉾には、中世ヨーロッパで製作されたタペストリーが見送として伝来し、重要文化財に指定されていることが知られていますが、そのほかにも、海外からもたらされた希少な絨毯などを懸装品としたものがいくつも伝えられており、往時の京都の活発な交易の様子をうかがわせます。
たとえば鶏鉾の胴懸には、かつて三枚の織物をひとつに仕立てた幕が左右それぞれに飾られていました。西(左)側の胴懸の中央には、17世紀の前半にペルシャで製作されたと思われる「中東瑞鳥連花葉文様」のヘラット絨毯が用いられており、その両脇を「虎と梅樹に鶯の図」と「玉取り獅子の図」という、意匠の異なる唐渡りの絨毯が彩ります。また鶏鉾には、「日輪に番い鳳凰に梅と牡丹の図」と「月に鳳凰と兔に牡丹草花の図」の二枚を継ぎ合わせた朝鮮毛綴の後懸も伝来しています。
こうした舶来の品々に加えて、日本の芸術家たちが腕を振るった作品も鶏鉾を飾ってきました。たとえば下水引「唐宮廷楼閣人物図刺繍」は、江戸時代後期に活躍した四条派の絵師
鶏鉾を出す鶏鉾町(下京区室町通四条下ル)は、長刀鉾や函谷鉾などの大きな鉾が集う通称「鉾の辻」に近く、昔から都の賑わいの中心地でした。日本最大の都市として古くから栄えた京都では、経済力をつけた町人たちが次第に活躍し始めます。かれらは後に「町衆」と呼ばれ、経済や文化の担い手として成長してゆき、絢爛豪華な祇園祭の山鉾巡行を行なえるまでになります。そして、町衆は自分たちの町を守り統括する法度をつくり、自治的な活動をおこなうようにもなっていったのです。
鶏鉾を出す鶏鉾町には、文禄五年(1596)の年記をもつ「鶏鉾町定法度」が伝えられています。同資料には18カ条の法度が記載されており、そこには家の売買や借家に関する規定から、烏帽子着や聟入に際しての祝儀に関する取り決めまで、様々な内容が列記されており、鶏鉾町に暮らす人びとが話し合いによって町での暮らしが円滑にはこぶよう粉身していた様子がうかがわれます。祇園祭の山鉾は、こうした町人びとの結束によって運営され、長きにわたって受け継がれてきたのです。
平成27年度 2階総合展示「京のまつり」
祇園祭-鶏鉾の名宝-
胴懸 ・玉取獅子図(右) ・中東瑞鳥蓮花葉文様(中) ・虎と梅樹の図(左) | 室町~江戸時代 | 重要有形民俗文化財 | 前期 |
胴懸 ・玉取獅子図(右) ・紅地雲竜図綴織(中) ・虎と梅樹の図(左) | 江戸時代前期 | 重要有形民俗文化財 | 前期 |
後懸 ・日輪に番い鳳凰に梅と牡丹の図(左) ・月に鳳凰と兔に牡丹唐花の図(右) | 室町~江戸時代 | 重要有形民俗文化財 | 前期 |
胴懸 御朱印船角倉船図 | 昭和55年(1980) | 重要有形民俗文化財 | 後期 |
天水引 金地日輪瑞雲麒麟図刺繍 | 江戸時代 | 重要有形民俗文化財 | 後期 |
下水引 唐宮廷楼閣人物図刺繍 | 安永3年(1774) | 重要有形民俗文化財 | 後期 |
二番水引 緋羅紗地蝶文様刺繍 三番水引 紫紺地四季草花図綴織 | 文政8年(1825) | 重要有形民俗文化財 | 後期 |
鉾頭 | 江戸時代 | 重要有形民俗文化財 | 前期 |
角飾 雲龍文様木彫漆箔 | 文政8年(1825) | 重要有形民俗文化財 | 前期 |
角飾金具 成物尽文様八珍果文様 | 文政8年(1825) | 重要有形民俗文化財 | 後期 |