町のちから ―三条御倉町文書の世界―
2020.9.5(土) 〜 11.1(日)
三条通は、京都の歴史を考える上で特に重視される街路です。平安京の三条大路にほぼ該当する本通は、平安時代には神泉苑の南辺、朱雀院北辺を通過し、三条東殿、三条西殿をはじめとした皇族の御所や数々の公家邸宅が設置されました。
また三条通と新町通の交差点は、三条町とよばれ、四条町・七条町などとともに商業地区として繁栄し、中世以来、祇園祭の中心地の一つとして賑わいを持つようになりました。天正18年(1590)には、豊臣秀吉の命をうけた増田長盛によって三条大橋が架設され、江戸時代に入ると東海道が整備されることで、その延長線上に位置し、列島の基幹道路としての役割を担うようにもなりました。三条通は京都の中心的な街道なのです。
そんな三条通の中、烏丸通西入に所在する両側町が御倉町です。当該町は平安時代以来、西三条内裏や藤原基隆邸が所在する地域として著名で、中世に至っても特権的な職商人の根拠地として諸史料に姿を現します。江戸時代に至ると、法衣商として名を馳せた千切屋の根拠地となり、また祇園祭においては神輿の駕輿丁(かよちょう)を出す町となっていきました。御倉町は三条通に所在する町々の中でもその経済力、文化力で傑出した町ということができるでしょう。
このような御倉町の実態を伝える町有文書が、近年当館に寄託されました。本展では、この三条御倉町文書を通して、江戸時代における京都の町のあり方とそこに蓄積された文化について展観いたします。
戦国時代の権力者が町の安全を保障する
町の歴史は町の財産
大坂城へ「町」から嫁ぐ。しかし……
宗門人別改帳 安永2年(1773) 9月
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ギャラリートーク
日時:2020年9月11日(金)、10月23日(金) *いずれも中止させていただきます。