近代博覧会と京都の産業 ―明治初期の観光と染織産業を中心に
2020.11.7(土) 〜 2021.1.11(月・祝)
幕末から明治初期にかけて、京都は政治的混乱と戦火に見舞われ、さらに東京への遷都が決定的となり、心情的にも経済的にも大きな打撃を受けました。しかし新たな近代都市をめざして産業の活性化、貿易振興が積極的にすすめられ、都市再生を図っていきます。
京都では京都府出仕の槇村正直(明治4年大参事、明治8年知事)のもとで、舎密局が設置され、勧業施策がすすめられます。舎密局の開設と運営に尽力した明石博高は、陶磁器・七宝・硝子・石版術・写真術・石鹸・染織等の分野で成果をあげていきます。
明治4年(1871)、東京に先駆けて開かれた京都博覧会はその後、毎年開催されるとともに、海外で開かれる万国博覧会にもこれらの最新の産業の成果を出展していきます。明治28年(1895)には、遷都1100年の記念として岡崎において新政府主催で全国規模の内国勧業博覧会の第4回目を開催することとなります。
本展では、京都の近代化の一側面として観光と染織産業をとりあげます。明治5年(1872)の京都博覧会には来京した外国人のための宿泊施設を用意(也阿弥楼、後の也阿弥ホテル)、明治6年(1873)には英文の京都観光ガイドブックを発行。さらに近世まで寺社や皇室の需要が大きかった染織業においては、明治以降海外に目を向けて新たな需要を見出していくとともに、西欧の新しい技術も積極的に取り込んでいきます。
京都は他都市に先駆けて明治4年に京都博覧会を開催。また外国人向けホテルを整備し、英文ガイドブックを発行。舎密局を開設し殖産興業政策を推進していきます。本展では近代京都の一端を観光と染織産業に焦点をあてて再検証します。