祇園祭―
2019.1.19(土) 〜 3.31(日)
郭巨山は、京都市下京区四条通西洞院東入の郭巨山町から祇園祭の山鉾巡行に参加する山です。郭巨山の趣向は二十四孝のひとりである郭巨の釜掘りの故事にちなんだもので、その由緒から「釜掘り山」とも呼ばれてきました。
郭巨山は、日覆いの障子屋根が取り付けられており、また欄縁の下に乳隠という華やかな宝相華文様を施した板絵が装着されるなど、他の山鉾とは異なる独自の意匠を有しているのが特徴です。そのほかにも郭巨山には、江戸時代中期の著名な絵師である石田幽汀の下絵による胴懸(「陳平飼虎図・刺繍」と「呉道子描龍図・刺繍」)など歴史と伝統を伝える装飾品が数多く伝来しています。
郭巨山のしつらえからは、町の歴史や暮らしに根ざした祇園祭の真髄の一端がうかがえます。今回の展示を通じて郭巨山の魅力を堪能していただきますと共に、祇園祭のもつ歴史や文化の奥深さに触れていただければ幸いです。
郭巨山の趣向は、中国で孝行に尽くした24人の物語を集めた『二十四孝』から「郭巨」を題材としています。郭巨は後漢の時代の人物で、彼は貧しさのため年老いた母と三歳になる息子を共に養う事が困難になります。郭巨は母への孝養を尽くそうとすれば子を養う事ができず、また子を養うためには老母への孝行を果たす事ができないと思い悩みますが、母は唯一無二であるからと遂に子を棄てる事を決意します。そして郭巨は、子を埋めるために鍬で穴を掘ります。すると地中から黄金の釜が出てきます。釜は郭巨の母への孝行の心に感心した天からの贈り物でした。黄金の釜を得た郭巨は、子を棄てる事なく母への孝養を尽くしたといいます。
郭巨山には、鍬を持った郭巨の姿が再現されており、またその傍には黄金の釜も置かれています。我が子を犠牲にしてでも母を守ろうとした郭巨の物語は都の人びとにも広く知られており、郭巨山は「釜掘り山」とも呼ばれ親しまれてきたのです。
資料名 | 時代 | 指定等 | 展示期間 |
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見送「慶寿詩文」中国刺繍 | 寛政4年(1792) | 後期 | |
見送「日輪双鳳額唐山水人物図」綴織 円山応震下絵 | 文化13年(1816) | 重要有形民俗文化財 | 前期 |
見送「万葉の春」綴錦 上村松篁原画 | 平成6年(1994) | 重要有形民俗文化財 | 後期 |
前懸 中央・婦女嬉遊図刺繍 周囲・波濤鳥文様刺繍補子 | 天明5年(1785) | 重要有形民俗文化財 | 前期 |
胴懸「陳平飼虎図」刺繍 石田幽汀下絵 | 天明5年(1785) | 重要有形民俗文化財 | 前期 |
胴懸「呉道子描龍図」刺繍 石田幽汀下絵 | 天明5年(1785) | 重要有形民俗文化財 | 前期 |
前懸「秋草」綴錦 上村松篁原画 | 昭和53年(1978) | 重要有形民俗文化財 | 後期 |
胴懸「花の汀」綴錦 上村松篁原画 | 昭和57年(1982) | 重要有形民俗文化財 | 後期 |
胴懸「春雪」綴錦 上村松篁原画 | 昭和62年(1987) | 重要有形民俗文化財 | 後期 |
御神体旧衣裳(郭巨) | 寛永18年(1641) | 前期 | |
御神体衣裳(童子) | 重要有形民俗文化財 | 前期 | |
牡丹造花 | 大正15年(1926) | 重要有形民俗文化財 | 前期 |
唐団扇 | 重要有形民俗文化財 | 前期 | |
郭巨持物 鍬 漆塗銀蒔絵 | 重要有形民俗文化財 | 前期 | |
御釜 | 重要有形民俗文化財 | 前期 | |
欄縁 黒漆塗桜桐菊文様鍍金金具付 | 明治23年(1890) | 重要有形民俗文化財 | 前期 |
欄縁 黒漆塗雲形厚板鍍金金物付 | 明治11年(1878) | 後期 | |
乳隠 金地彩色宝相華文様 | 明治23年(1890) | 重要有形民俗文化財 | 後期 |
見送上部飾金具 鉄線唐草文様鍍金 | 明治22年(1889) | 重要有形民俗文化財 | 後期 |
見送裾部飾金具 窠巴紋鍍金 | 昭和56年(1981) | 重要有形民俗文化財 | 後期 |
角飾金具 牡丹文様鍍金 | 明治23年(1890) | 重要有形民俗文化財 | 前期 |
轅先金具 釜鍬文様 | 明治23年(1890) | 重要有形民俗文化財 | 通期 |
五鈷鈴 | 昭和32年(1957) | 重要有形民俗文化財 | 後期 |
くじ箱 | 前期 | ||
扁額「郭巨山」 清水六兵衛筆 | 後期 | ||
掛軸「祇園牛頭天王」 | 前期 |