祇園祭 ー保昌山の名宝ー
2014.4.3(木) 〜 6.15(日)
保昌山にかけられる懸装品のうち前懸と左右の胴懸は、それぞれに中国の故事を題材とした下絵をもとに製作されています。下絵の作者は江戸時代後期に京都で活躍した絵師の円山応挙(1733―1795)です。前懸の裏地には「画工 圓山主水」の名と「安永二癸巳歳六月日」の墨書銘があり、本作品の下絵は、応挙が円熟期を迎える40歳頃に描かれたものである事がうかがわれます。
保昌山を出す燈籠町(京都市下京区)には、この三枚の懸装品と共に応挙が描いた下絵も屏風に仕立てて大切に保管されています。これらは祇園祭の装飾品製作に当時最高の絵師が携わっていたことを示す貴重な資料です。このほかにも保昌山には、さまざまな鳥の姿を刺繍で描いた補子をつなぎ合わせた水引などがあり、町の人びとによって守り伝えられた美しい懸装品の数々は、祇園祭での巡行に彩りを添えています。
保昌山に搭載される御神体人形は、平安時代に実在した貴族の平井保昌(藤原保昌:958―1036)です。平井保昌は武勇に優れた人物として歴史に名を残していますが、平井保昌をめぐる逸話のひとつに和泉式部との恋の物語があります。和泉式部は歌人として名望のあった女性で、彼女の歌は百人一首にも選ばれています。式部は最初の夫と離別した後、天皇の皇子ふたりから相次いで求婚されるなど、恋の話題がいくつか残されていますが、その相手のひとりが平井保昌でした。
逸話では、保昌に言い寄られた式部が、紫宸殿の梅を手折って来てくれたなら求愛を受け入れると答え、保昌は厳重な警備をかいくぐって梅の枝を手に入れたとされます。保昌山では、保昌が宮中に忍び込んで梅の枝を得ようとする様子があらわされています。平井保昌と和泉式部の恋の駆け引きの物語は、色恋沙汰に敏感な都人に愛され、その様子を意匠に取り入れた保昌山は「花盗人山」と呼ばれ親しまれてきたのです。
平成26年4月3日(木)ー6月15日(日)
前期展示 4月3日(土)ー5月11日(日)
後期展示 5月14日(水)ー6月15日(日)
月曜日休館 (祝日の場合は翌日休館。ただし4月28日(月)は臨時開館 、5月13日は展示替えのため休室)
・前懸 緋羅紗地仙人図 刺繍【前期】 |
・胴懸 緋羅紗地群仙図 刺繍【前期】 |
・後懸 緋羅紗地雲龍図【前期】 |
・後懸 小花文様 イギリス捺染【後期】 |
・前懸 菊龍蜀江文様 金襴【後期】 |
*展示資料は都合により変更する場合がございます