祇園祭−
2017.4.8(土) 〜 6.18(日)
京都祇園祭の山鉾巡行には、真木と呼ばれる長大な柱状の木を有する鉾が6基登場しますが、真木の中程にある天王台に放下僧の御神像が祀られているのが放下鉾です。放下鉾の鉾頭は日と月と星の三光が世を照らす様子をあらわすと言われ、その形がすはま(州浜)に似ていることから「すはま鉾」とも呼ばれてきました。
放下鉾には、インドなど海外で織られた舶来の懸装品を数多く有しているほか、刺繍で描かれた「琴棋書画図」の豪華な水引など、国内の技術によってしつらえられた幕類にも優品を多く所持しています。また稚児にまつわる様々な品が伝え残されているのも魅力のひとつです。
今回の展覧会で、放下鉾に伝来する貴重な品々を公開させていただきますと共に、祇園祭の歴史や文化の奥深さの一端に触れていただければ幸いです。
放下鉾には多種多様な懸装品が伝来している事で知られています。例えば、かつて放下鉾の前面を飾っていた「メダリオン(メダイヨン)」と呼ばれる中央に大きな花弁状の文様をもつ特徴的な絨毯は、17世紀後半から18世紀前半にかけて、インドのデカン地域で織られたもので、そのデザインは16世紀のペルシャ産メダイヨン絨毯を元にしたものであるといいます。また、下水引として用いられてきた「琴棋書画図」の幕は、その下絵を手掛けたのが与謝蕪村(1716—83)で、金地に人物や楼閣が刺繍で描かれた豪華なものです。
放下鉾は明治時代になって大改修を行ない、その後も壮麗な装飾が次第に施されてゆきます。例えば大正6年(1917)には、京都画壇の巨匠であった幸野楳嶺(1844−95)の描いた図案を元にして、大屋根の下に木彫の丹頂鶴が舞う妻飾が施されています。
放下鉾では、昭和3年(1928)までは長刀鉾と同様に男の子が稚児として鉾に乗っていましたが、昭和4年からは稚児人形を乗せるようになりました。稚児人形は京人形師の12世面庄が制作し、久邇宮朝彦親王の第五王子多嘉王(1875−1937)によって、放下鉾の鉾頭の由緒にちなみ「三光丸」と命名されました。三光丸は体が自在に動く仕組みになっており、稚児衣裳を着て胸に羯鼓をつけ、撥を持って三人の人形方により鉾の上で稚児舞を舞う三光丸の姿は、さながら生き稚児のようであると都びとの喝采を浴びています。