祇園祭-
2017.10.21(土) 〜 2018.1.14(日)
伯牙山の意匠には、友を失った悲しみから弦を断って琴を弾かなかったという琴の名手の伯牙(はくが)の話と、王の演奏命令に従うのを良しとせず琴を叩き割った同じく琴の名手の戴逵(たいき)の話のふたつの物語がモチーフとして伝えられています。伯牙山に搭載される人形には斧が握られ、琴を割る様子が表現されており、どちらの物語にも通じる意匠となっています。この山の飾りの姿から、伯牙山は別名を「琴割山」とも呼ばれてきました。
伯牙山を彩る懸装品では、まず前懸の前面にかけられる軸装様に仕立てられた「慶寿詞八仙人図(慶寿裂)」が特徴的です。また、山の周囲を飾る「緋羅紗地唐人物図」の水引は胴懸の中程まである幅広の画面に立体感のある押絵貼が施された華麗な品です。伯牙山の四隅には源氏胡蝶文様の飾金具が装着され、その上部には祇園祭の山鉾にはめずらしい白幣が立てられます。
今回の展覧会では、伯牙山に伝来する貴重な品々を公開いたします。この展覧会を通じて、伯牙山のもつ歴史や文化の素晴らしさをご堪能いただきますと共に、祇園祭の奥深さの一端に触れていただければ幸いです。
伯牙山(はくがやま)の意匠の元となった二つの話は、それぞれに中国の故事を題材とした趣き深いものです。まず、山の名前となっている伯牙(はくが)は中国の春秋時代の人物で、琴の名手でした。伯牙には鐘子期(しょうしき)という友がいて、鐘子期は伯牙の琴の音色を愛し、その表現を常に的確に讃えました。鐘子期が亡くなると、伯牙は「世の中に琴の音を聞かせるべき人は無くなってしまった」と言って琴の弦を断ち、二度と琴を弾くことはなかったのだそうです。この逸話は親友を示す「知音(ちいん)」という言葉の元になりました。
もうひとつのお話は、少し時代が下がった中国東晋時代の文人である戴逵(たいき:戴安道)が主人公です。戴逵は書画や琴の演奏など諸芸を極めた人物でしたが、ある時、東晋武陵王の司馬晞(しばき)が戴逵を召し出そうと人を遣わしたところ、戴逵は使者の前で琴を割り、私は王の楽人にはならないと言い放ったのだといいます。
江戸時代、伯牙山は「琴割山(ことわりやま)」とも呼ばれていました。伯牙山を有する矢田町(下京区綾小路通新町西入ル)には、明治4年(1871)に琴割山から伯牙山に名称を整えたとの話が伝えられています。
資料名 | 時代 | 指定等 | 展示期間 |
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見送 五仙人図 刺繍 | 江戸時代中期 | 重要有形民俗文化財 | 前期 |
前懸 慶寿詞八仙人図 錦織(慶寿裂) | 昭和62年(1987) | 重要有形民俗文化財 | 前期 |
水引 緋羅紗地唐人物図 押絵貼 房付 | 平成7〜9年(1995〜97) | 重要有形民俗文化財 | 後期 |
前懸 (中)蜀江文様繻珍錦 (左右)淡紅地雲龍文様繻珍 | 文化10年(1813) | 重要有形民俗文化財 | 前期 |
胴懸 花卉尾長鳥文様 綴織 | 安政2年(1855) | 重要有形民俗文化財 | 前期 |
後懸 小花唐草文様 錦織 | 明治〜大正時代 | 重要有形民俗文化財 | 後期 |
後懸 錦織龍文様 | 平成21年(2009) | 重要有形民俗文化財 | 後期 |
白幣 黒漆塗 鉄線唐草模文様 鍍金金具付 | 弘化4年(1847) | 重要有形民俗文化財 | 後期 |
見送上部飾金具 菊桐唐草文様鍍金 | 享和2年(1802) | 重要有形民俗文化財 | 後期 |
角飾金具 舞楽風源氏胡蝶文様 | 天保5年(1834) | 重要有形民俗文化財 | 通期 |
角飾金具 菊唐草透し彫り文様 | 嘉永6年(1853) | 重要有形民俗文化財 | 後期 |
朱傘竿金具 雲鶴図 | 明治時代 | 重要有形民俗文化財 | 前期 |
欄縁 黒漆塗 鉄線唐草文様鍍金金具付 | 江戸時代後期 | 重要有形民俗文化財 | 後期 |
御琴 | 寛政2年(1790) | 重要有形民俗文化財 | 前期 |
御斧 | 文政2年(1819) | 重要有形民俗文化財 | 後期 |
御冠 | 江戸時代 | 重要有形民俗文化財 | 前期 |
五鈷鈴 | 寛政元年(1789) | 重要有形民俗文化財 | 後期 |
くじ箱 | 寛政9年(1797) | 通期 | |
金銅釣燈籠 | 慶応元年(1865) | 通期 | |
扁額「伯牙山」 千宗室 書 | 昭和46年(1971) | 前期 |