祇園祭 ~鷹山復興記念展~
2022.6.11(土) 〜 8.7(日)
祇園祭は日本を代表する祭礼として名高いものです。特に山鉾巡行に登場する数々の山や鉾は、豪華絢爛な装飾品で飾られ「動く美術館」とも称されています。京都祇園祭の山鉾行事は国の重要無形民俗文化財に指定されているほか、「山・鉾・屋台行事」のひとつとしてユネスコの無形文化遺産にも登録されています。
祇園祭の山鉾には数々の変転がありました。時には災害にみまわれ巡行の行列からその姿を消していった山鉾もあります。そのひとつが鷹山です。鷹山は文政9年(1826)の大風雨の被害を受けて休み山となり、その後元治元年(1864)の大火によって部材を焼失し、長くその姿を見ることはありませんでした。しかし、近年鷹山復興の機運が生まれ、2022年の山鉾巡行では鷹山が江戸時代以来の姿を披露します。
この展示では、祇園祭の山鉾に関する歴史や文化を紹介すると共に、復活を遂げる鷹山についての資料も公開します。
鷹山は、古くから祇園祭の山鉾巡行に参加していて、15世紀には「鷹つかい山」としてその名が既に記録されているという長い歴史をもつ山です。
元々は人が担いで巡行していましたが、江戸時代には大きな車輪が付けられて曳行されるようになりました。天明8年(1788)に京都を襲った大火事で被災しますが、18世紀末には豪壮な大屋根を乗せた姿で再興されました。しかし、19世紀初頭に今度は大風雨によって大破してしまい、その後は巡行ヘの参加を見合わせていました。そして、元治元年(1864)に勃発した禁門の変で発生した火事によって山の部品のほとんどを焼失してしまいます。しかしながらこの時には、代々鷹山に飾られてきた「鷹匠」「犬飼」「樽追」の3体の人形は焼失を免れました。その後鷹山では、祇園祭山鉾巡行の前夜祭である宵山に、この人形を飾ることで祭りに参加してきたのです。
そして2022年7月、鷹山は祇園祭の山鉾巡行の列に戻ってきます。鷹山の復興を目指してきた保存会では、古い文献や絵画資料を探してかつての鷹山の姿を復元する作業を進め、2019年には、鷹山の宝物を入れた唐櫃を担ぎ、お囃子を奏でながら山鉾巡行の列に徒歩で加わる「唐櫃巡行」を行なって、その機運を盛り上げてきたのです。
京都はたびたび戦火にみまわれ、その影響は祇園祭の山鉾にも及びました。特に幕末元治元年(1864)の禁門の変では、京都の市街地が大火にみまわれて多くの山鉾が焼失しました。山鉾を出す町衆は少しずつ山鉾を復興させてゆきましたが、全ての山鉾が復興するまでには長い時間が必要でした。
菊水鉾は元治の大火から90年を経た昭和28年(1953)に復興され、「昭和の鉾」と呼ばれて戦後復興のシンボルともなりました。また昭和54年(1979)には綾傘鉾、昭和56年(1981)には蟷螂山、昭和63年(1988)には四条傘鉾がそれぞれ復興されて巡行の列に加わりました。平成26年(2014)には大船鉾が復活して、東日本大震災で沈んだこの国に明るい話題を届けました。そして令和4年(2022)、コロナ禍で打ちひしがれた私たちの前に鷹山が帰ってくるのです。