三國幽眠 —勤王漢学者と京都
2024.4.13(土) 〜 6.2(日)
福井・三国湊出身の漢学者三國幽眠は、若い頃に上洛して鷹司家の儒官となり、多くの勤王志士や文化人と交流します。幕末には橋本左内らを鷹司政通・輔熙父子に紹介した罪で投獄されますが(安政の大獄)、九死に一生を得て京都に戻り、再び鷹司家に請われて、興正寺の家政総裁として活躍しましす。興正寺とは西本願寺の脇門跡でしたが、明治9年に鷹司政通の次男である本寂上人が一派本山として独立させた寺です。
幽眠は儒学者以外にも彦根出身の岸竹堂をはじめとする絵師や山本秀夫、山本復一らの学者など幅広い交流が認められます。幽眠の息子・直篤は明治5年西村總左衛門家(現・千總)に養子に入っており、幽眠は絵画や染織産業関係者とも深いつながりをもち、明治前期の学術・文化分野における中心的人物の一人でした。
2016年に京都府に寄贈された大橋家の資料にも三國幽眠や岸竹堂、今尾景年らの作品があります。大橋家とは西村總左衛門家の番頭格にあたり、西村家における明治前期の厳しい経済状況の中で三國幽眠は影響を与えたと思われます。今回は、京都市在住の玄孫や、石川県七尾在住の本家の遺族らからお借りした新出資料を中心に、これまであまり知られていなかった三國幽眠の人物像と京都における明治初期の文化交流活動の新たな一面を展開します。