明治維新、それは祇園祭の山鉾巡行にとって大きな危機でした

 京都の歴史とともに現代まで連綿と受け継がれてきた祇園祭は、日本を代表する祭礼として名高いものです。絢爛豪華な装飾品で飾られた山鉾は「動く美術館」とも称され、国内はもとより遠く東アジアや中近東、そしてヨーロッパの美術工芸の粋が集結しています。祇園祭に登場する山鉾は、国の重要有形民俗文化財に指定されているほか、「山・鉾・屋台行事」のひとつとしてユネスコの無形文化遺産にも登録されています。
 祇園祭の歴史は京都の歴史と共にありました。京都は歴史の舞台としてたびたび戦火にみまわれ、その影響は祇園祭の山鉾にも及びました。特に江戸時代末期には、京都は元治元年(1864)の禁門の変と、慶応4年(1868)の鳥羽伏見の戦いの二度にわたって戦場となり、禁門の変では市街地が大火にみまわれ、多くの山鉾が焼失したのです。
 この展示では、今年が明治150年にあたるのを契機として、幕末維新の動乱期に京都と山鉾町が経てきた苦難の歴史を振り返るとともに、その後近代化の波の中で祇園祭の山鉾がいかにして復興を遂げていったのかについて紹介し、山鉾にまつわる歴史や文化の様相に迫ります。

基本情報

会 期:
2018(平成30)年6月23日(土)〜8月5日(日)
休 館 日:
月曜日(祝日の場合は開館、翌日休館)
※7月17日(火)は臨時開館
会 場:
京都文化博物館 2 階総合展示室「京のまつり」
開室時間:
10:00~19:30(入室は19:00まで)
入場料:
一般500円(400 円)、大学生400円(320円)、高校生以下無料
*( )内は20 名以上の団体料金
*上記料金で、総合展示と3 階フィルムシアターがご覧いただけます
主 催:
京都府、京都文化博物館
協 力:
公益財団法人祇園祭山鉾連合会ほか

月鉾下水引 緋羅紗地花鳥霊獣図刺繍ほか

月鉾下水引 緋羅紗地花鳥霊獣図刺繍ほか
▲月鉾下水引 緋羅紗地花鳥霊獣図刺繍ほか

月鉾前懸 玉取獅子の図・斜め格子牡丹唐草図
▲月鉾前懸 玉取獅子の図・斜め格子牡丹唐草図

「甲子兵燹図」(京都文化博物館蔵)より
▲「甲子兵燹図」(京都文化博物館蔵)より

幕末の動乱と京都

 幕末、尊王攘夷運動の激化とともに京都は政局の中心地として混乱を極めました。朝廷をめぐって各派の思惑が入り乱れ、さまざまな勢力が京都に集結し、ついには禁裏守護の名目で諸藩の軍勢が京都に駐屯する事態となります。そして、文久3年(1863)8月18日の政変によって朝廷での主導権を失い京都を追われた長州藩は、失地回復を目指して京都へと出兵し、元治元年(1864)7月19日に、京都を守護する会津藩や薩摩藩らの軍勢と衝突したのです。戦闘は最初に伏見で起こりますが、長州軍は別の部隊が御所まで到達し、蛤御門など各所で激しい戦闘が繰り広げられたのです。

 

『秋の日照』(京都文化博物館)より「京都大火図」
▲『秋の日照』(京都文化博物館)より「京都大火図」

蛤御門の変とどんどん焼け

 蛤御門の変は長州勢の退却によって集結しますが、戦闘によって長州藩邸など各所から火の手が上がり、その炎は3日以上も燃えつづけ、京都の町に大きな被害をもたらしました。類焼地域は、北は御所近辺から南は七条あたりまで、東は寺町通から鴨川付近、西は堀川通のあたりまでという広範囲におよび、特に下京は実に750から800もの町地域が焼き払われたのです。後に「どんどん焼け」と呼ばれるこの火災によって、祇園祭の山鉾も多くが被災しました。翌年の前祭山鉾巡行は中止され、後祭では橋弁慶山と役行者山だけが出ます。そして慶応2年(1866)の前祭では郭巨山と霰天神山と伯牙山が参加しますが、全ての山鉾がそろうまでには長い年月がかかったのです。

 

焼瓦(現・京都文化博物館周辺出土)
▲焼瓦(現・京都文化博物館周辺出土)

「祇園祭船鉾之図」中島荘陽画
▲「祇園祭船鉾之図」中島荘陽画

祇園祭・大船鉾

 大船鉾は、室町時代にはその名が記録にあらわれる鉾です。天明8年(1788)の大火で一度焼失していますが、町衆の努力で文化元年(1804)に復興を遂げています。ところが、元治元年(1864)に蛤御門の変による大火に見舞われ、今度は鉾本体や装飾品の多くを焼失してしまうのです。その後、大船鉾を出す四条町では、鉾の復活を期して長い年月を耐えねばなりませんでした。 四条町では、平成9年(1997)にお囃子を復活し、平成19年(2007)には居祭りを再開、そして平成24年(2012)には唐櫃巡行を行ないます。そして平成26年、蛤御門の変の大火から150年の時を経て、大船鉾は祇園祭への復帰を果たしたのです。

 

『琵琶湖疏水圖誌』(京都府立京都学・歴彩館蔵)
▲『琵琶湖疏水圖誌』(京都府立京都学・歴彩館蔵)

祇園祭の山鉾と近代の京都

 そして明治維新を迎えるのですが、近代化の影響は祇園祭にも及び始めます。明治5年(1872)には、それまで祇園祭の執行を物心両面で支えてきた諸制度が改められ、各山鉾町では祭礼維持の経費確保に苦心するようになります。
 その一方で、京都で行われるさまざまな事業に、山鉾が関わるようにもなります。例えば明治23年(1890)に竣工した琵琶湖疏水の式典では、前日の4月8日に祝賀夜会が催され、夷川船溜に特設された会場に月鉾・鶏鉾・油天神山・郭巨山の4つの山鉾がしつらえられ、提灯がともされお囃子が奏でられるなど、祝賀ムードの演出に貢献しています。また明治26年(1893)には、第四回内国勧業博覧会の会場が建設される岡崎で催された地鎮祭に山鉾が参加しています。

 

「祇園祭山鉾巡行」
石井行昌撮影写真資料 大正2年(1913) 京都府立京都学・歴彩館「京の記憶アーカイブ」より
▲「祇園祭山鉾巡行」 石井行昌撮影写真資料
大正2年(1913) 京都府立京都学・歴彩館「京の記憶アーカイブ」より

そして明治の終わりに

 この写真は大正2年(1913)に撮影された、四条通の高倉付近を巡行する祇園祭の函谷鉾です。鉾の後ろに見えるのは大正元年10月に竣工した大丸京都店で、インドの建築様式を模した鉄筋木造3階建ての建物です。
 祇園祭の山鉾巡行は、前祭が通常7月17日に行われますが、この写真が撮影されたのは8月7日です。この年の山鉾巡行は、前年の7月30日に明治天皇が崩御したため、その喪に服するために3週間延期されたのです。そして激動の明治は終わりを告げ、時代は大正へと移ってゆきます。

 

出品資料一覧

資料名時代所蔵
洛中洛外図屏風(松居家本)江戸時代後期個人蔵
月鉾前懸
玉取獅子の図/斜め格子牡丹唐草図
江戸時代中期公益財団法人月鉾保存会
月鉾水引
 下水引 緋羅紗地花鳥霊獣図刺繍
 二番水引 金地鶏頭文様錦織
 三番水引 紺地蜀江文様錦織
江戸時代後期公益財団法人月鉾保存会
月鉾模型明治時代京都文化博物館
月鉾模型昭和時代京都府(京都文化博物館管理)
後の祇園祭船鉾之図 中島荘陽 画昭和7年(1932)公益財団法人四条町大船鉾保存会
『都名所図会』 安永9年(1780) 京都文化博物館
『琵琶湖疏水圖誌』明治23年(1890)京都府立京都学・歴彩館
蛤御門の変使用銃弾元治元年(1864)京都府(京都文化博物館管理)
焼瓦(現・京都文化博物館周辺出土)元治元年(1864)京都府(京都文化博物館管理)
『秋の日照』元治元年(1864)京都文化博物館
甲子兵燹図京都文化博物館
矢野家写真資料「祇園祭稚児の社参」大正時代京都府立京都学・歴彩館「京の記憶アーカイブ」より
黒川翠山撮影写真資料「祇園祭山鉾巡行」明治41年(1908)京都府立京都学・歴彩館「京の記憶アーカイブ」より
石井行昌撮影写真資料「祇園祭山鉾巡行」明治時代後期京都府立京都学・歴彩館「京の記憶アーカイブ」より
石井行昌撮影写真資料「祇園祭山鉾巡行」大正2年(1913)京都府立京都学・歴彩館「京の記憶アーカイブ」より

*都合により展示資料を変更する場合があります。